田中芽衣という人間がおるけん。
※死ぬほど長いし死ぬほど文章の意味がわかりません。途中で論点がずれました。
※まじで本当に長いです。でも最後まで読んでほしい。
むかーしむかしあるところに田中芽衣と言う人間が生まれました。
詳しくは事務所のホームページを見てくんしゃい。
http://www.qualiam.com/profile08_mei-tanaka.html
田中芽衣(以下めいめろ、めいたん、田中等)は熊本に生まれました。現在高校2年生。
元Ranzuki専属モデルです。
ファンの子の名前はめいっ娘です。
昔のブログを見るとわかるんだけどこの子めちゃくちゃ体が弱い
本人は体が弱かったから他の人にできないことをやろうと思ってモデルを目指したと語っています(ごめんまじニュアンスで書いてる)
まあこのめいめろちゃんは珍しいタイプでして今若者に人気(?)のアプリ「ツイキャス」からモデルになったんですね。
熊本でツイキャスしててそれを見たクオリアム(事務所)の人が熊本まで田中芽衣を口説きに来たんですねはい。(なんか違う)
とりあえず熊本までクオリアムさん来ましたってことです。そして事務所に所属することになりました。
ごめんなさいここまで偉そうに(?)書いてるけどもし違ったらツイッターで教えてください修正します。
そしてRanzukiのスナップに呼ばれ読者モデルになりました。
https://twitter.com/meimero1280/status/447232697513943041
(はてなブログの埋め込みリンクのしかたがいくらググってもわかりません。)
そして約1年後専属モデルになります。
https://twitter.com/meimero1280/status/546688512309751808
ここで事件が起きました。
大和屋穂香(以下ほのちぃ)と同時期に専属デビューしたのにも関わらずほのちぃは次の号で表紙デビューします。
https://twitter.com/honochii0114/status/558481310528720896
https://twitter.com/meimero1280/status/558484782993375232
次の4月号で初のピン企画
https://twitter.com/meimero1280/status/569514896561283072
遅れながらも2015年5月号で初表紙
https://twitter.com/meimero1280/status/579843195334365184
その2ヶ月後にあのちぃぽぽと2人で表紙を飾ります
https://twitter.com/meimero1280/status/601911639261097984
そしてなんと連載開始( ; ; )
加入して半年でピン連載をもつまで成長しました(数ヶ月後パワーアップするということで一旦休止。その後田中芽衣の連載を紙面で見た者はどこにもいなかった、、、。)
ほのめろ表紙は胸アツでしたね
https://twitter.com/meimero1280/status/667911105541353473
そしてこの号でアプリを使って新年号の表紙モデルを決める投票が始まります
yellというものを好きなモデルに投票し、数分ごとにyellが回復してレベルアップすると投票できるyell数も増えるというような感じのもの(雑)
https://twitter.com/meimero1280/status/669531982833909760
トップモデルちぃぽぽに次いで2位という結果を残し見事表紙に
https://twitter.com/meimero1280/status/690708837750321152
そしてなんと2016年5月号でちぃぽぽ卒業
https://twitter.com/meimero1280/status/712616456517595138
正直な話をします。この時点で、専属になってから表紙も飾れるくらい成長しました。連載も持ちました。ピン企画もやらせてもらったり、企画の扉も飾るくらいまで大きくなってました。
ちぃぽぽ卒業。次はめいめろの番だ。
ちぃぽぽみたいにピン表紙を飾って、Ranzuki=めいめろと言われるくらいになってほしいそう思ってた。
だがしかし、後輩の増え方が極端すぎた。
1人入ったと思ったら一気に4人また加入。
そして卒業号で2人加入。
約半年で7人
頭によぎったのは
「やばいRanzukiがもたない」
ちぃぽぽ1人が消えた分のファンを確保しないといけない=モデルを増やしてファン集めよう
というのは見え見えでした。
正直Ranzukiはちぃぽぽがいたからもっていたと言っても過言じゃない。
そして2015年の夏あたりからRanzukiは付録をつけ始めました。
それと同時にページ数が10ページほど減りました。広告のページが増えました。
Ranzukiは2016年の夏に休刊になりました。
ちぃぽぽは愛されていた。人気だった。
しかしその人気に頼りすぎていた。
それが、Ranzukiが終わってしまった原因なんじゃないかなと思います。
ちぃぽぽが卒業して次の号の表紙のセンターにはめいめろがいました。
https://twitter.com/meimero1280/status/723720356242935809
その次の号の表紙のセンターにもめいめろがいました。
https://twitter.com/meimero1280/status/734701749542346753
そして、その次の号のセンターにもめいめろがいました。
https://twitter.com/meimero1280/status/745756998436683777
その次の号の表紙に田中芽衣の姿はありませんでした。
https://twitter.com/meimero1280/status/756803412331679744
後輩がピン表紙
あまり何が起こったのか覚えていません。
この前の号の時点でなんでめいめろがピン表紙を飾れないのかという話になった気がします。
みんなでピン表紙にしよう、そして連載を復活させようと頑張ってアンケートを書いたのは覚えています。
表紙を知ってガチ勢のラインのグループに載せて、恐ろしいスピードでトークが進み全く読む速度が追いつかなかったこと、気づいたら手が震えていたこと、気づいたら電話していた、気づいたら泣いていた。
全部「気づいたら」でした。
どうすればいいのかわからなかった。
だって、だって、だって。
アンケート書いたよ?暦だってめいめろ長いよ?それに、ちぃぽぽが卒業してから表紙ずっとセンターはめいめろだった。
そろそろピン表紙だと思ってた。
とにかくアンケートを書こう。
頑張ろうってみんなで話しました。
変顔も送りつけたね。
来月こそは!!田中芽衣ピン表紙を!!
と思ってた矢先に事件が。
Ranzuki休刊
いやまじで正気?ってなった。
来月で終わり?は?えまって田中ピン表紙は?
って思った。
最後のイベント。パリピフェスがパリピじゃないフェスだった。
楽しかったし、思い出に残ったよ。
でも悔しかったし、最悪だった。
最高で最強で最悪のイベントだった。
めいめろ本人の口から
「ピン表紙という夢は叶わなかったけど」
と言わせてしまった。
私たちの周りにはめいっ娘しかいませんでした。
その言葉を聞いた瞬間にみんな嗚咽交じりの声で「ごめんね」「ごめんなさい」って言ってた。
今思い出しても涙で溢れる。
そして今ここで私は気付きました。
論点がめちゃくちゃズレてる。
私はこの文をめいめろのことを詳しく知らない子向けに書くつもりだったのにいつの間にかめいっ娘への文にすり替わってる。
やばい。ごめん。スライディング土下座やわ。
田中芽衣は今年の夏、Ranzukiを卒業しました。
今は専属モデルではありません。
私たちめいっ娘はまた田中芽衣が雑誌に載っている姿を見たいと思っています。
そして、いつかピン表紙という夢をかなえたいと思っています。
田中芽衣という存在をもっと知ってもらいたい。
このブログを読んで少しでもめいめろに興味を持った方、ぜひめいめろのことをフォローしてみてください。検索してみてください。
今年はプリレンジャーになりました。
ガルアワにも出たんです。
めいちゃんは確実に大きな一歩を踏み出しています。
めいっ娘はみんなでめいちゃんを支えたいと思っています。
それには、たくさんの方の協力が必要なんです。
良ければもし読んでいる雑誌のアンケートに「気になるモデル」等の欄があったら「田中芽衣」と書いてもらえると嬉しいです。
正直私もこの文がなんなのか書いていてわからなくなってきました。
とにかく田中芽衣ってすごく愛されていて、表紙やピン企画をしたり、連載もしちゃってたり、ガルアワにもでちゃったくらいすごい子なんだよって伝わってたらいいな、、、。
いつかまた紙面であの子の笑顔が見れますように。
こんなに長い文章を読んでいただきありがとうございました。
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